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「春一番」(はるいちばん)は、キャンディーズの楽曲で、9枚目のシングル。1976年3月1日にCBSソニーから発売。1978年解散コンサート時点でのシングル売上は累計49万枚(CBS・ソニー調べ)〔キャンディーズ シングル売上一覧 、日刊スポーツ新聞社、2011年4月21日23時0分。大本の出典は『日刊スポーツ』1978年4月5日付。〕。 == 収録曲 == # 春一番 #:作詞・作曲・編曲:穂口雄右 # *元々は前年4月発売のアルバム『年下の男の子』に収録されていた曲である。アルバム収録曲のシングルカットは渡辺プロダクション所属の歌手の曲としては初の試みであったという。ただし、アルバム収録版とはアレンジが大きく異なる。 # *アルバム発売後にコンサートでこの曲を披露した時の反応の強さを見た、当時のキャンディーズのマネージャー・大里洋吉が「シングルカットしても当たる」と読んで、事務所の社長であった渡辺晋にシングルカットを直訴したが、当時の渡辺プロにはアルバム収録曲のシングルカットの前例がなかったため、晋は「アルバムで出た曲をわざわざシングルで再度買う訳がない」として一度は却下。などと、大里は『ナベプロ帝国の興亡』などで吹聴している。しかしながら事実は、当時のプロデューサーの松崎澄夫が最大の功労者である。松崎は「春一番」を最初に聴いた時から次の年のシングルにしようと考えていて、シングルに向けて松崎が率先して渡辺プロダクションのスタッフの協力を求めてシングル化が実現したということが真実である。事実、当時の渡辺プロダクションはチームで動いていたので、一人のマネージャーの意見でプロジェクトが進行すると言う事実はなく、ファンクラブも含めた多くのスタッフの尽力によって達成した成果と考えて間違いない。ちなみに、当時ホリプロに所属して山口百恵のディレクターであった川瀬泰雄は、キャンディーズが「春一番」をレコーディングしている時に隣のスタジオで山口百恵のレコーディングをしていたが、スタジオで鳴り響いていた「春一番」を聞いて、松崎に「これ絶対良いよ、シングルにしようよ」と勧め、松崎も賛同していた。つまり、マネージメントスタッフが関わるずっと前からレコーディングスタッフと穂口の中では「春一番」のシングル化の決意が決まっていたのである。なお、キャンディーズ関連の記述では時に『ナベプロ帝国の興亡』が引用されるが、この本は特定の人物の宣伝目的の記述が散見されるので、鵜呑みにしないよう注意が必要である。 # *作詞は当初千家和也が行う予定であったが、穂口がメロディを決定する際に仮に書いた歌詞を千家が評価し、正式な作詞も穂口が行うことになった〔穂口雄右 - 現実になったビジョン 第3回「春一番」〕。 # *服部時計店(現:セイコーホールディングス)のCMソングに起用された。 # *本曲のヒットでキャンディーズは、1976年末放送の『第27回NHK紅白歌合戦』へ2年連続2回目の出場を果たした。 # *2012年3月31日に、楽曲を制作した穂口が日本音楽著作権協会(JASRAC)を退会し、その関係で通信カラオケ事業者の大手である第一興商とエクシングがこの曲のカラオケ配信を停止したため、一時一部のカラオケ店で歌えない状態になっていた。2015年に穂口がJASRACにこの曲の管理権を戻したため、解消している。(詳細は穂口の項を参照) #二人だけの夜明け #:作詞:竜真知子 作曲:宮本光雄 編曲:竜崎孝路 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「春一番 (キャンディーズの曲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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